イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」(ルカによる福音書 9章20節)
クリスチャンですか?
と聞いたり尋ねたりすることがあるかもしれません。皆さんは「クリスチャンとはどうしてなるのか」と考えたことはおありでしょうか。
クリスチャンの家庭に育った私は幼い頃から教会学校に通い、後に一生の親友となる人と出会うなど大きな影響のもと今に至りました。
もともと「クリスチャン」という言い方は信者の人数が少なく「変わり者の集団」と社会に思われていた頃、蔑んで言われた言葉でした。馬鹿にした言い方でした。
今でも「あれでもクリスチャンか」とみんなの思う「クリスチャン像」と違う言動や振る舞いをすると言われることがあります。当院の創立者ヴォーリズさんはお酒やタバコを嫌い、賭け事や夜遊びすることなど考えられませんでした。「ピューリタン」と呼ばれる純粋な信仰者であったからです。そしてそれを近江八幡でも示しました。
きっと「クリスチャン」とはこのような生き方をする人、と人々に伝わっていったでしょう。そしてその「生き方」に惹かれ「クリスチャン」に導かれた人も多かったことでしょう。
でも、クリスチャンとは「まじめな生き方をする人」という意味ではありません。「イエス様は神さまです」と告白することです。自分が信じて、委ねて、神さまの招きに応えることです。
イエス様に弟子として最初に招かれたペテロ。ルカによる福音書によれば大勢の群衆に五つのパンと二匹の魚を5000人以上の人に分け与えた出来事の後、イエス様がペテロに「自分は何者か」と尋ねたのです。ペテロは「メシア、つまり救い主です」と答えました。この時、ペテロは「イエス様は神さまです。」と告白したのです。
ペテロはイエス様に従って神の国を人々に伝える働きをしました。でも彼は戸惑い、迷い、的はずれなことやイエス様を裏切ることさえしました。決して真面目な優等生とは言えませんでした。でも「クリスチャンの資格がない」と決して言われることはありませんでした。神さまに愛され続けたのです。
3月22日発行 「サナニュース」より